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岸ミツアキの新譜『フィール・オブ・ジョイ』

a0107397_9532616.jpg 12月15日にスイングブロスから発売される岸ミツアキ(p)の新譜『フィール・オブ・ジョイ』(CMSB-28018)は、ナット・キング・コール・スタイルのドラムレス・トリオへの《原点回帰》。ジョージ・ムラーツ(b)、ハワード・アルデン(g)という現代最高峰の2人を迎えて、知られざる渋いスタンダードから有名な名曲などを織り交ぜながら、楽しませてくれる。初期のオスカー・ピーターソン・トリオを思わせる安定感がいい。1曲目の「It's A Wonderful World」から、エンディングにソニー・ロリンズの「Oleo」を入れるなど、彼らしく「洒落っ気」もたっぷり。
 全13曲。このトリオでの来日公演をぜひとも期待したいものだ。
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by makotogotoh | 2007-11-30 12:42

Storyvilleの謎 その3

a0107397_5375642.jpg バート・ゴールドブラットのジャケットで名高いStoryvilleの10インチ盤だが、そのうちの1枚『Songs by Deliquency/Shep Ginandes』(STLP309)は、日本で一度も再発されたことがない。では、このShep Ginandesとは何者か?果たして《ジャズ屋》なのか?ということで調べてみた。
Shep Ginandesはハーヴァード出身、ボストン在住の医師であり、フォーク・ソングの研究家&収集家として知られる。多数の外国語に精通し、世界中のフォーク・ソングに精通していたとされる。50年代の半ばに陸軍医として活躍、その後StoryvilleやEkektra、Pathways of Soundといったレーベルにアルバムを残した。フォーク・ミュージックの世界でメジャーな存在ではないが、当時のボストン界隈ではかなりの名士だったようである。レコード会社を興して間もない若きジョージ・ウェインが、この地元著名人に関心を示し、録音の機会を与えたことと容易に推測できる。この経歴を見る限り、残念ながらジャズ屋ではない。
 作曲家としての才能の持ち主であり、ボストン在住の有名フォーク歌手Dave Van Ronk(1936~2002)に、自作曲「Willie the Weeper」を提供したこともある。しかしフォーク歌手として活躍したのはほんの短期間で、60年代には本業の医者に復帰してしまった。
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by makotogotoh | 2007-11-29 05:42

Storyvilleの謎 その2

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 Storvyilleレーベル Rudy Valleeのアルバムが存在するのかという話の続き。手元にある他のアーティストのEP盤に、このリストがあった。他の作品がEP盤(2枚組み)と同じ内容のLP盤(10インチ)が出ているので、このアルバムもEP盤(2枚組)と同じ内容の10インチ盤が在する可能性はきわめて高いと判断する。番号でいえば、たぶんLP315(10インチ盤)がそうである。しかし問題の12インチ盤(STLP919)が、これと同じ内容(にいくつか曲を追加)かどうかの確証はない。もっともこのRudy Vallee、元はサックス奏者で歌手として、バンドリーダーとしてもヒットを出したが後年、俳優として多くの映画に出演している。 動く映像では1929年の「I'm Just a Vagabond Lover」が、彼が放った1930年のヒット「Confessin'」を聴くことができる。ちなみに共演のken Darby and the King's Menは男声グループ。よってこのアルバムがジャズ系の作品である可能性は限りなくゼロである。
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by makotogotoh | 2007-11-28 21:49

犬も食わない対談形式の共通ライナー

 最近(ここ2年ほどか)ジャズの再発CDで業界関係者2人の対談形式のライナーをよく目にする。制作費をひたすら削減するためなのか、それとも政治的な取引があるのか、制作者にどういう意図であってこういう対談が企画されて、それがわざわざシリーズで発売されるすべてのCDに添付されるのか、私にはさっぱり理解できない。
 はっきりいって、いますぐ止めて欲しい企画のひとつである。
 理由は以下の通りである。

 制作者は、まずCDを買った人(これから聴こうとする人)が求める情報とは何か?をつねに考えて欲しい。その中身がどういう音楽で、演奏者がどういう人たちで、その楽歴のなかで、どういう場所に位置する作品なのか、演奏されている楽曲はどういう曲で、どういう特徴があるのか、といったことだ。こんなことは小学生でもわかる。素朴な疑問、基本中の基本、イロハのイである。

 それがなぜか複数のメーカーの複数のシリーズにおいて、特定の業界人が関わると、なぜかこの対談形式のライナーが次々と生み出される構図がある。少なくとも私はこの2年で、対談形式共通ライナーを3社の再発CDシリーズで発見した(まだ他にもあるかもしれない)。
 たまたま買ったCDが偶然、対談形式だったのなら、まだ許される。しかしそのシリーズで同時発売されるすべてのCDに、同じ対談を添付するとは、消費者をバカにするにもほどがある。はっきりいってそのシリーズの他のCDを買いたくなくなるのだ。
 楽屋落ちみたいな業界裏話や、その場でCDかLPを聴きながらの思いつきの感想なんて、誰も喜ばないと思うぞ。
 ちなみに私はその業界人が悪いとか、対談そのものが悪いといっているのではない。そういうことは他のところでやってください、ということだ。
 CDに添付するなら、1枚ずつ違う内容で、また中身の音楽と関係のある話を詳しくするか、タメになる情報を網羅した文章をお願いしたい。
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by makotogotoh | 2007-11-27 17:25

Storyville Labelの謎

 12月にミューザックからリリースされるストリーヴィルの5枚(10インチ盤のCD化)について調べている。1988年発行のBarry Kernfeld編『The New Grove Dictionary of Jazz』には、Mark Gardner(イギリスの評論家)が次のように書いている。
■Storyville
1:ニューオリンズの歓楽街(以下略)
2:1951年にジョージ・ウェイン(George Wein)がボストンで設立したレーベル。その前年にウェインがボストンで開店した同名のクラブ名にちなんで命名された。
3:1950年代初頭にデンマークのコペンハーゲンで設立されたレーベル。設立後まもなくしてSONETに買収(以下略)
 もちろん、ここでいうStoryvilleとは、上記(2)である。続きを見よう。
《カタログはクラブでのライヴ録音とスタジオ録音の両方があり、リー・コニッツ、サージ・チャロフ、秋吉敏子、ルビー・ブラフ、ヴィック・ディッケンソン、エリス・ラーキンス、シドニー・ベシェ、ジョニー・ウィンドハースト、ジョー・ニューマン、ズート・シムズ、ジョー・ジョーンズらのアルバムがある。歌手ではリー・ワイリーやジャッキー・ケイン、ロイ・クラールが録音を残している。
 このレーベルは他社の音源も借りて発売、そのなかにはバック・クレイトンがパリで録音した一連のセッションも含まれている。レーベルとしての活動がもっとも活発だったのは1953年から1955年までの間で、この後ウェインはニューポート・ジャズ祭とのかかわりが増えたため、そちらに時間を割くようになった。
 1950年代の終わりにはレーベルとしての活動を停止。カタログの一部はイギリスやフランスでも発売され、日本でも数枚のアルバムが発売された。しかし(以下略)》Mark Gardner氏の最後の一言が笑わせる。But There has been no comprehensive reissue program。
さて本題。このレーベルに関する謎は2つある。
1)300番台(10インチ)はLP301からLP323までの全23枚と思われる。が、このうちの2枚(LP315、LP321)が誰のなんというアルバムなのか、収録曲は何なのか、分からない。ご存知の方がいれば、ぜひご教示を。
2)900番台(12インチ)はSTLP901からSTLP920までの全20枚と思われる。STLP919のみよく分からない。70年代の前半、あるジャズ雑誌に掲載されたレコード会社の広告には、『Rudy Vallee/Rudy Vallee's Drinking Songs』とある。上記10インチ盤のどれかが、これと内容が重複する可能性は否定できない。
 ルディ・ヴァリー(1901~86)はヴァーモント生まれ、1928年に自分のバンド《コネチカット・ヤンキーズ》を結成、ビング・クロスビーが以前に登場した1930年代に人気を博した歌手&バンドリーダーである。なぜこういう歌手の録音がストリーヴィルに残されたのか。
 ヴァリーがどこかのレーベルに録音した音源の再発であったとしても、50年代後半という時代になぜ再発されたのか、謎は深まるばかりなのだ。
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by makotogotoh | 2007-11-26 12:49

共同体からの利益を捨てた日本人

a0107397_214249.jpg 中央公論12月号の特集は「一億総クレーマー社会」。内田樹さんの対談「日本人が共同体からの利益を捨てるまで」を読む。
《市民が自分の所属する共同体に「当事者意識」を持たなくなるとき、クレーマーと化す。自己利益の獲得のためには共同体の破壊も辞さない。彼らの登場が、日本の国力低下の元凶なのだ。》
 《競争主義はやめましょう》《「自己利益の追求」は非効率》《退蔵するな。下の世代に回せ》という、内田先生のご指摘はごもっともだし、おっしゃることもよくわかる。だが、最後の結論が「バック・トゥ・ザ・1958」というのは、あまりにも安易すぎる。これだけモノが溢れ、携帯電話が鳴り響くような世の中になってしまった現在、映画『ALWAYS 3丁目の夕日』のような「美しかった日本」に戻れるわけがないだろう。
 日本という国家ほどではないけれど、ジャズもまた、ひとつの共同体なのだと思う。かつて本国で理不尽な差別を受けてきたアフロアメリカンのミュージシャンが初めて日本にやってきた時、自分たちの音楽を「芸術」として認めてくれた礼儀正しい日本人に感動したというケースは多い。1970年の万博で日本にやってきたジョン・サーマンは、当時の日本人の行動を振り返って、「ほとんど英語はしゃべらないけれど、いつもニコニコして、服装や姿勢はきっちりしていて、背筋を伸ばして丁寧にお辞儀をしていた」と語る。それが当時の日本人だったのだ。
 残念ながらジャズの世界でも《自己利益の獲得のための共同体の破壊》は確実に進行している。ネット販売が軌道に乗ったところで、紙媒体への出稿を押さえ、新譜の紹介や再発CDの独占販売など、自分たちでできることはすべて自分たちでやって、利益を独占しようという姿勢がいたるところで見受けられる。商売が大変なのはわかるが、彼らの行動や言動には、お世話になった人たちへの感謝の気持ちなど微塵も感じさせない。こうして日本に根付いてきたジャズという共同体も確実に破壊していく。
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by makotogotoh | 2007-11-25 21:13

ジャズの『100バカ』とは?

a0107397_1131476.jpg 平林直哉さんの『クラシック100バカ』(青弓社)を読む。平林さんは1958年生まれ。季刊「クラシック・プレス」の編集長を経て、現在は音楽評論家。
《ここにもあそこにも、あんなバカこんなバカ、クラシックの世界にはバカがいっぱい!偶像崇拝、唯我独尊、一知半解、付和雷同、玉石混淆、羊頭狗肉、頑迷固陋、先入僻見、不協和音、迷惑千万…クラシック批評の鬼が、一刀両断、100バカを斬る》
《言うことと書くことが全く違う似非音楽ジャーナリスト、知識も愛情もないレコード制作者、有名演奏家だけを聴きたがる小金持ちなど、クラシック音楽をつまらなくしているバカに対する怒り、苦言、揶揄、あきれの百連発》
 平林さんはCDジャーナルの編集部にいた方なので、少しお話したことがある。もっともクラシック担当の編集者だった彼と、ジャズ畑のライターである私が、いっしょに仕事をすることはほとんどなかったのだが、この本を読む限り、非常にマジメな方なのだなぁ、という印象を改めて強くする。
 ご存知のように、世の中にはマジメな人より、そうでない人の方が圧倒的に多い。だから仕事や趣味に情熱を注ぎ、マジメに取り組んでいる方であればあるほど、世の中にはびこる、いい加減な文章や言動、行動、あらゆる理不尽なことについて、いろいろボヤキたくなるものだ。
 クラシック業界にまつわるエピソードが満載のこの本は、別に揚げ足取りでも、受け狙いでもなんでもない。非常にまっとうな常識と見識による指摘・苦言が多い。 ジャズ界に関する記述は全くないが、思い当たる節はたくさんある。なかでも「新聞記者に原稿を依頼するバカ」「懲りないバカ編集者の面々」「タダでも書きたいと息巻くバカ」「裏をとらない、とろうとしないバカ」「マイナーであればあるほど喜ぶバカ」「ネット上の発言を気にしすぎるバカ」など、思い当たる例がある(笑)。
 あとがきより《(前略)私は業界人からバカ呼ばわりされるのを全く気にしない。怖いのは「読者からあいつの書いていることはデタラメだ」とか「いつも内容が退屈だ」と思われることである。(後略)》彼の仕事が業界受けではなく、顔の見えない読者にむけて行われていることはわかる一節だ。予想通りカスタマーズ・レビューの評価は芳しくない。
 この本を読むと『ジャズ100バカ』の登場を期待せずにはいられない。ちなみに不真面目で小心者な私には、こういう本は書けません。
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by makotogotoh | 2007-11-24 11:35

耳が聴こえない女性打楽器奏者を扱ったドキュメンタリー映画

NHKBSで放映されたイヴリン・グレニーの『Touch the Sound』を観る。イヴリンは1965年生まれ、スコットランド北部出身の打楽器奏者。8歳から聴覚障害となり、11歳の時、医師に補聴器を使うように勧められるが、父親と音楽教師との出会いから、補聴器のない生活を続けプロの打楽器奏者となる。これは2004年ドイツ人監督が撮影したドキュメンタリー映画で、初対面のフレッド・フリス(g)とニューヨークの倉庫街でCDを制作する場面や、訪れた日本で鬼太鼓座と共演する場面など、イヴリン・グレニーというアーティストを知るだけでなく、音楽とは何かを考える上で、非常に示唆に富んだ内容となっている。音楽を演奏する者にとって呼吸法が大切であること、音は耳で聴くのではなく、五感を使って身体全体で感じるもの、など、彼女のメッセージをすべて記すわけにはいかないが、音楽を演奏する上で、聴く上で、何が大切なのか。たくさんの教訓が詰まった映画だ。
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by makotogotoh | 2007-11-23 21:01

何でも受け身が心地よい大学生

《自分でやるより全部授業で 大学生4人に3人が回答》11月18日の中国新聞より。ソースは共同通信なので、他の新聞でも取り上げている。
《大学生の四人に三人は「自分で勉強するより、必要なことはすべて授業で扱ってほしい」と考え、授業内容では「最先端の研究」よりも「学問の基礎」を重視している学生の方が多いことが十八日、東大研究グループによる調査で分かった。授業と直接関係のないことを、独自に学ぶのは少数派であることも判明。高度な専門知識を自ら習得するという学生のイメージからは程遠く、受け身の傾向の強い現在の学生像が浮かび上がった。
 調査は今年、全国の国公私立百二十七大学の協力を得て実施。約四万五千人の学生が回答した。調査結果によると、意味があったと思う授業は「教養・共通教育」が44%、「専門教育」は59%。その内容については複数回答で「学問の基礎を教えてくれた」がトップの55%、「実践的な知識や技能」が50%で「最先端の研究成果」は14%だけだった。大学での学び方では「授業はきっかけで後は自分で学びたい」と考えているのが25%だったのに対し、「授業の中で必要なことはすべて扱ってほしい」との考えを持っているのが74%に上った。
 また「難しくてもチャレンジングな授業」を望むのは34%で「自分のレベルにあった授業」を求めるのが65%。「授業の意義や必要性は自分で見いだしたい」は38%で「意義や必要性を教えてほしい」が61%だった。 一方、学期中の平均的な一週間の生活を尋ねたところ、大学に行くのは平均週四・七日で、授業の出席率は平均87%。予習復習など授業関連の学習時間は「ゼロ」が13%で「一日一時間以下」も51%に達し、授業とは関係のない独自の学習の時間に至っては「ゼロ」と「一日一時間以下」が計77%を占めた。》
 その昔、私が大学生だった頃、自分に合った理想の音楽を求め、都内のジャズ喫茶やレコード屋、ライヴハウスを彷徨ったものでした。書物もジャンルを問わず、貪るように読んだものでした。難しくてよく分からない本もあったけれど、筆者の情熱だけは伝わってきた記憶があります。
 かつての大学生は哲学書を読み、ジャズをよく聴いたものですが、何でも受け身が心地よい今の大学生にはジャズや哲学書は不向きかなのもしれません。
 ジャズは受け身で聴いて心地よい音楽ではありません。演奏者のエネルギーをしっかり受け止めるべき音楽です。ちゃんと受け止めていたら、別の動作(踊ること)なんてできません。 だから「ジャズで踊る(ことができる」という人は、しっかり受け止めていないのだと私は思います。
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by makotogotoh | 2007-11-22 12:42

富良野塾の閉塾に感じたこと。

脚本家の倉本聰さんが主宰する富良野塾が2010年に閉塾すると発表した。朝日新聞に載った彼のコメントから。
《年々応募してくる若者の質が低くなってきた。この世界に入る覚悟も教養もないまま、受け身で教わろうという態度が目立つ》
《僕はレッスンプロでなく現場で戦うトーナメントプロ。講義も大学院レベルでやりたいが、現状ではついてこられる塾生が少ない》
《米国では大スターになった俳優でも定期的にスタジオに戻り、演技やダンスの練習をしている。プロのステップアップの場にすると同時に、若い脚本家が自作を舞台化できる環境を整えたい》
《東京に居続けたら同業種、同年代の人間ばかりと付き合い、つまらない脚本家になってしまったと思う。書くことは受信が7割で発信は3割。農家などの実生活に触れ、実に多くのことを学んだ》

ただ自分の好きなCDを定期的に買って聴いているというだけで音楽は語れません。
覚悟と教養も必要です。
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by makotogotoh | 2007-11-21 21:27