探偵ビル・リード、相変わらず「いい仕事」しています。

a0107397_11155193.jpg薄命の白人美人歌手ビヴァリー・ケニーの激レア音源がまたまた登場。ケニーは、世界的な評価や一般的な知名度とは別に、日本のマニア(数千人?)の間で、たぶん有名歌手よりもひそかに愛聴されてきた、謎の多い歌手だ。その筋?では、○流女優のティナ・ルイーズと並ぶ、人気白人美人ジャズ・シンガー(ちょっと長いな)といっても過言ではない。1932年1月29日生まれで、1960年4月13日に自殺。日本ではなぜか「ホテル火災が原因で死亡」と書かれてきた。その詳細は『二人でお茶を+1(原題:Snuggled On Your Shoulder)』(XQAM-1003)のライナーに詳しい。
 さてこのアルバムは、スタン・ケントン楽団で活躍したベーシストのエディ・サフランスキー(1918-74)が、シザック(Sesac)社がラジオ局配布用に制作したレコード(トランスクリプション)のために録音した音源から、ケニーの歌を含むトラックのみ(全10)を抽出したものである。
 これらの録音時期をリードは1952年頃と推定している。だが実際に聴いた筆者の印象では、もう少し後のような気がする。1957年から59年、さらにいえば1958年頃ではないか。
 ミディアム・テンポで軽快にスイング・チューンから、一昔前のキャバレーでよく演奏されていた昭和歌謡を思わせるラテン・ナンバー、ロッカバラード、エキゾチックなリズムものまで、内容はバラエティに富む。放送用音源のため、演奏時間はどれも3分弱。それでも曲のアレンジがモダンなので飽きさせない。ケニーのスタイルはすでに完成していて、いずれも彼女らしさがよく出ている。とても20歳頃の歌とは思えない。とりわけ(3)(4)(6)のバラードがいい。ちょっと舌足らずで、その語り口からみえ隠れする少女のあどげなさ。これぞビヴァリーの魅力である。2007年10月3日発売。XAQM-1022。

PS:未確認情報だが、独BearFamilyがSesac社のトランスクリプション原盤権を獲得したという。いつになるかわからないが、CD化ではなくダウンロード販売になる模様。

PPS:リード探偵の最新情報によれば、1953年録音だそうだ。(2007年9月28日付記)
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# by makotogotoh | 2007-09-16 11:18

ブルーな授業参観

 土曜日。子供の通う地元公立中学の授業参観に行く。1時間目国語。若い男の先生。真面目で愛想もよい。が、あれじゃ生徒になめられるぞ。 板書は丁寧、字も綺麗。いや丁寧すぎる。それを写す生徒の筆はさらに遅い。見ているこっちがいらいらする。君たち、こんなテンポじゃ世の中は渡っていけないよ。
 ライヴでいえば1曲目バラード、その後もずっとバラード、速いテンポの曲は1曲もなく時間が来たのではい終演、といった感じ。終わってみるといやーよく寝た!そんな授業だ。
 先生は自分のペースで丁寧にやっているつもりなのだろう。だが見ている側はアクビが出そうだ。1曲目でまず惹きつけ、疲れてきたらバラードをはさむ、途中でペースを変えるために、テンポやリズムの異なる演奏を入れたり、ベースやドラムをフィーチャーしたりする。そういった工夫が欲しい。ジャズのライヴに足を運んで、もっと勉強しなさい。
 それにしても、なぜ教育の現場で、通信講座や教育テレビのような授業をするだろう。あんなテンポの授業では、生徒はほとんど頭を使わない。悩まない。だから質問すら思い浮かばない。どんどんバカが増えるわけである。

 これ以上、こんな授業を聴いていると、こちらもバカになりそうなので、他の教室に移る。今度は理科の実験室。4人くらいのグループに分かれ、波長の揃ったレーザー光をいろいろな角度から凸レンズや凹レンズにあて、屈折のようすや光路を観察させる。部屋は遮光カーテンで暗くされている。クーラーもない。だから生徒も先生も汗だくだ。それでもみんなが一生懸命、集中しててやっているのが分かる。少々暑くても、先生と生徒が一緒になってひとつのことに取り組む。手を動かし、目を動かし、友達と相談しながら、役割分担を決めて、作業をする。このことの方がはるかに大事だ。

 ○○な保護者からは「汗だくで授業なんて子供がかわいそう。早くクーラーを入れなさい」という意見が出てくるだろう。しかし、エアコンの効いた快適な空間で、心地よい言葉が流れる授業をすれば、教育効果が上がるわけではない。いや、むしろ下がるはずだ。
 最近の講演会では、発表者がパワーポイントを使う機会が多い。レジュメも配られる。このレジュメを手にしただけで安心してしまい、緊張感がなくなる。肝心の話をロクに聞かなくなるから困り者だ。他人の作った資料に頼らず、自分でノートに写すこと、自分で工夫してメモすること、疑問に思ったらその場で質問するか、自分で調べる。こういったことが大事である。
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# by makotogotoh | 2007-09-15 11:17

競争原理の導入があらゆるの現場をおかしくしている。

東良美季さんのブログ「職業倫理の消失」より。
《(前略)職業とは生き方だがら、誰に向かって商売しているのかを明確にしなければならない。農家は消費者を、八百屋は客を、医者は患者を何より大切な存在として自分の視野に置く。当たり前の話だ。農家はやみくもに生産を上げるべく、消費者をないがしろにして必要以上の農薬を使ってはいけないし、医者は自分の研究のために患者の身体を使ってはいけない。そう言った当たり前の職業倫理が崩れたのが戦後という名の日本社会だった。多くの会社では消費者よりも社内の利益のために動くようになった。その結果がパロマの事故や三菱のリコール隠しである。(後略)》
 働いている人の多くがモラルと誇りを失ったのは、「戦後」という広い範囲というよりも「バブル経済崩壊後」というべきかもしれない。

 世の中がおかしくなったのは、経済界の原理を、結果の見えにくい教育など社会のあらゆる分野に適用したからではないか。農家が消費者から、八百屋が客から、医者が患者から感謝されなくなる。カネを払っている側が偉いのだから、農家こそ消費者に、八百屋こそ客に、医者こそ患者に、公立学校の教員は保護者に感謝すべきだ、といわんばかりである。
 ある飲食店チェーン経営者で、私立学校の理事長でもある人は「公立学校間で競争を促進すれば、教育サービスはよくなる」と豪語した。
 この理屈が間違っていることは以下の事例をみれば分かる。競争原理が教育現場に強いたものは、とにかく結果を出さねばならないという圧力だった。
 学力統一テストの平均点が東京23区で最下位だった足立区は、教育委員会と校長とともに、事前に生徒に問題を見せたり、試験中には見回っている監督者である先生が生徒に間違いを指摘したりしている。
 また関西の私立高校が大学合格率をアップさせるために、優秀な学生には受験料を学校側が負担して、受けさせていたという話も、みせかけの合格率をアップさせるためだ。
 合格率や平均点をあげるためには、きれいごとなんていっていられない、どんな手段を使っても構わない。
 なぜこうしたことが起こったのか。競争原理を導入したことで現場に圧力がかかったからである。新入社員の大半が3年以内に辞めるのも、競争だけの社会に疲れたからではないか。

競争は他人にとやかく言われてからするものではない。
自分の意思で「過去の自分」とするものである。

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# by makotogotoh | 2007-09-14 21:58