通路側と窓側

a0107397_19323024.jpg 早朝、新幹線で東京に戻る。まだN700系には乗ったことがない。そりゃ、乗ってみたいとは思うけれど、満席のN700系より、ガラガラの300系の方が私は好きだ。「のぞみ」より20分遅れても、すいている「ひかり」の方が、少なくとも私には快適だ。でも500系はダメです。あれは車内の圧迫感が強烈。よほどの急ぎの場合を除き、次の列車を待ちます。
 座席指定をする時、富士山がよく見える窓側(E)を選ぶという人が多いという。しかし私はEは選ばない。もうひとつの窓側(A)も選ばない。必ず通路側(CまたはD)をお願いする。隣の座席に人が座られ、「逃げ場のない」という状況が、どうしてもいやなのだ。トイレに行く時や、何かを買うため、または気分転換で席を立ちたい時、通路側の人に断らないといけないのも、なんだかわずらわしい。しかも隣の人が寝ている時は、いっそ黙って飛び越えようかと、悩んでしまう。
 だから新幹線も、最新深夜バスのように、一列3人、通路を2本にしてくれるとありがたい。

 東海道新幹線だけ来る可能性が高い車内改札。寝ている人までわざわざ起こしてまで切符を出させるアレです。原稿を書いている人、仕事に集中している人の思考を中断させて、切符を出させる行為。「快適な車内環境をお願いします」とお願いするのなら、まずアレを辞めるべきでしょう。
改札に費やすのはほんのわずかな時間だ。しかし、いいアイディアが浮かんだ時、思考の途中を遮断されるのは、私の場合、寝ている時に起こされるよりも、はるかに苦痛だ。
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# by makotogotoh | 2007-09-09 19:33

ブログに求められるものとは?

a0107397_191935.jpg新幹線で大阪。暑い。本ブログ読者の一人でもあるミムラさんのお店を訪問。ワルツ堂時代からマニアックな顧客のニーズを捉えてきた大ベテランのジャズ・バイヤー(いやだな、この言い方)だ。お客さんから絶大な信頼を得ているミムラさんは、お客さんとの日常的な会話も豊富だ。ブログについての率直な意見・感想をじっくり聞こうと思ったが、土曜ということもあり、来店者多数のため、短時間で退散する。
ミムラさんも、自分の掲示板でいろいろなことを書かれている。読者の方からは「新譜や中古の入荷情報だけでなく、朝に何を食べたか、休日どこに行ったか、子供の参観に行ったなどを書いて欲しい」らしい。「毎朝掲示板をみるのが日課になっている人が多く、書き込みがないと心配になる人もいる」という。
残念ながら、この意見にわたしは共感できない。テレビのワイドショーのように他人のプライバシーを覗き見するようで、そんな文章を読みたいと思ったことすらない。

自分の日々の行動をブログに記録するのは結構だが、他人が関わることを書くと、嫌がる人、気にする人、困る人もいるのではないか。
それを不特定多数の他人に公開することにどういう意味があるのか。正直、私にはよく判らない。
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# by makotogotoh | 2007-09-08 15:23

宣伝とセットにお金をかけても、いい映画ができるとは限らない。

連日銀座。東映本社7階の第1試写室で11月公開の『オリヲン座からの招待状』を観る。浅田次郎原作のベストセラー『鉄道員』(集英社)に所収され、映画化が熱望されていた短編だ。
 《舞台はひっそりと佇む京都の小さな映画館《オリヲン座》。亡き夫の遺志を受け継ぎ、映画の灯を灯し続けたトヨ(宮沢りえ)と、彼女を支え一緒にオリヲン座を守り続けた留吉(加瀬亮)の二人の愛の奇跡を描く。メイン・テーマは上原ひろみが担当。
(中略)映画館の中は、閉館された実際の映画館を使用、映写室には当時の映写機を運び込み、二人が大切にしてきた映画館のリアリティにこだわって撮影。(中略)時代に翻弄されながらも映画館を守り続けたふたりの純愛――優しい奇跡の物語。この秋、心を揺さぶる、大人のラブ・ストーリー》(プレスリリースより)
 主人公が映写技師、時代の娯楽としての映画が衰退していくあたりは、どこか『シネマ・パラダイス』を思わせる。『無法松の一生』、『二十四の瞳』など、日本映画史に残る名画のワン・シーンがいくつも引用され、映画好きには嬉しい1作ではあろう。知名度や話題性のある俳優を起用、セットや時代考証にも十分すぎるお金をかけた。読んでいないので判らないが、浅田の短編小説としては泣けるストーリーなのかもしれない。
 しかしこの映画、肝心の部分がダメだ。まず宮沢りえと加瀬亮の演技がダメ。若手としては嘱望されている2人だそうだが、戦後の厳しい時代を生き抜いた人生の年輪が感じられない。今でも可憐さを残す宮沢の演技には、未亡人としての悲哀が出てこない。この2人、いつまで経っても無邪気な少年少女のようだ(そう思ってみると、微笑ましい)。
 次に音楽。上原が弾くピアノのメロディは美しく切ない。彼女らしさもよく出ている。だがどんなメロディを弾いても、今のジャズになっていまい、この映画に必要な寂寥感やノスタルジックな昭和の香りが全く伝わってこない。また盛り上がるべきシーンで印象に残る音楽が流れない。戦後の昭和を知らない世代の上原を起用するとは明らかな人選ミスである。だから宇崎竜童、原田芳雄、中原ひとみといったベテランが出るだけでスクリーンが引き締まる。宮沢(1973~)と加瀬(1974~)のシーンは、青春映画のようで、なんかぬるいのだ。
 『ALWAYS 三丁目の夕日』もそうだったが、単なる昭和ノスタルジーであったり、セットや時代考証にお金をかければ、いい映画ができるのではない。映画制作に必要なのは、まずは観るものを唸らせるだけの俳優の演技力、その演技力を最良の形で引き出せる監督の力量。そして音楽も重要な要素だ。前日に見た『純愛』の方が、はるかにスケールが大きく、音楽も映像とマッチしていた。
テレビの2時間ドラマ級の映像を、大きなスクリーンで見たいという人にはいいかも。11月3日全国東映系ロードショー。
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# by makotogotoh | 2007-09-07 08:37