文章を書いて社会に参加できると希望が生まれた(多田富雄)

a0107397_11545483.jpg 脳梗塞と前立腺がん、大腸がんという3つの疾病にはかかりたくない。なぜなら前者は父が、後者は母が、患った病気だから。どうすればこの病気にかかるのか、何をすればかからないのか、私の関心は非常に高い。タイトルの言葉は多田富雄『寡黙なる巨人』(集英社)より。

 多田富雄さんは1934年生まれの免疫学者。この本は2001年5月、金沢で脳梗塞で倒れた彼が、絶望の淵から這い上がるまでの1年半におよぶ闘病記録(書き下ろし)と、その後の6年間で新聞や雑誌のために書いたエッセイをまとめたもの。
 前半の闘病記録は、経験者ならではの筆致でじつに痛々しい。思わず顔をしかめ、言葉を失う場面もある。身体や言葉、摂食の自由を失い、発病後は死ぬことばかり考えていた多田さんは、当初ワープロの使い方もわからなかったが、左手だけで1字ずつ打って書き始める。病床でも、リハビリ中でも、何かを書くことで、自分が生きること、社会に参加しているという実感が得た。経験者ならではの言葉だ。
 後半のエッセイは、どれも短くすぐ読めてしまう。自分が経験したこと、感じたことなど、世の中の矛盾について、学者らしく鋭い考察を試みる。 《この頃の医者は、患者の顔をみようとしない。パソコンのデータばかり覗き込んでこちらを振り向かない》(「近代医療に欠けているもの」)というのは、私もしょちゅう遭遇している出来事のひとつだ。
タイトルの 「寡黙なる巨人」とは、かすかに動いた右足の親指をみて、これを動かしているのは自分ではなく、「自分のなかにいる得体のしれない何か」と感じた。その何かを《縛られたまま沈黙している巨人》と、彼は表現した。以下はあとがきから。
 《(前略)私は自分の中の「巨人」にこう語りかける。今しばらくの辛抱だ。これまでの苦痛に比べたら、何ほどのことがあろう。戦え。怒れ。のた打ち回れ。「寡黙なる巨人」は声で答えることはできないが、心に深くうなずくものがあった》

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寡黙なる巨人 | 商品情報(書籍)
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# by makotogotoh | 2007-09-23 11:58

ジョー・ザヴィヌルがウィントン・ケリーを目指していた頃

a0107397_110325.jpg 2007年9月11日、故郷ウィーンで皮膚がんのため75歳で他界したジョー・ザヴィヌル。彼の業績を辿る際、60年代末のマイルス・デイヴィスとの共演や、70年代以降のウェザーリポート時代の活躍ばかりが話題にあがるのはどういうことだろう。
 50年代の末、オーストリアから渡米した彼が、一躍注目を集めるようになったのは、キャノンボール・アダレイのグループに起用され、1967年にザヴィヌルの書いたオリジナル「マーシー・マーシー・マーシー」が大ヒットしたからだ。
 さて、1963年に録音されたこのアルバムは、キャノンボール・グループのメンバーだった彼が、テナーの巨匠ベン・ウェブスターと共演したアルバム。これが最初で最後の顔合わせ。もちろん主役はウェブスター。ここでのザヴィヌルは、彼のソウルメイツと呼べるほどソウルフルではない。むしろ控えめで趣味のよい伴奏者といった感じ。せっかく名手フィリー・ジョーが参加しているのに、彼のドラム・ソロは皆無。はっきりいってウェブスターのムード・テナーと、ザヴィヌルの名伴奏者ぶりを聴くアルバムである。
 メンバーもサド・ジョーンズ、フィリー・ジョー・ジョーンズ、ベースはリチャード・デイヴィスにサム・ジョーンズ(キャノンボール・バンドの仲間)を用意するなど、弱小レーベルにしては、かなり予算多めのセッションである。その代わりといってはなんだが、ライナーノーツを評論家に依頼せず、オリン・キープニューズとビル・エヴァンスという身内が書いたのは予算削減のため
 この頃のザヴィヌルは、もちろん後年のような「たくさんの電気楽器を操るフュージョン親父」ではなく、ウィントン・ケリーとボビー・ティモンズを模範としたモダン・ジャズのピアニストに徹している。1963年9月20日、10月14日録音。なお〈Too Late Now〉〈Come Sunday〉〈Frog Legs〉の別テイクが日の目をみているが、現在入手可能なCDにはその3トラックは収録されていない。
 天国で久しぶりにベン・ウェブスターと再会したザヴィヌルは、今頃またこんなピアノを弾いているのだろうか?
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# by makotogotoh | 2007-09-22 11:02

プログラミングという文化を次代にどのように継承していくべきか(ひろ式めもちょう)

ひろ式めもちょう「今の子供たちにプログラミングの楽しさを教える必要なんかない」より。

《(前略)「楽しさ」なんてムリにすり込んでいくべきものじゃない。教えたら楽しさでもなんでもなくなっちゃうだろ。はっきり言ってこういう「伝承していこう」という発想は、プログラミングを日本の古典芸能みたいな衰退しきった立場に落とし込む前兆であって、伝承云々を発想した時点でその文化はダイナミズムを失ってとっくに魅力をなくしているんじゃないかと。(後略)》

自分の子供にジャズ・ミュージシャンになれ、といったことは一度もない(エリス・マルサリス)。
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# by makotogotoh | 2007-09-21 06:40