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Club Arrowの歴史

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「アロー」は、大阪ミナミにあったお茶屋「大和屋」が1958年、北区・堂山町88に開店した高級ナイトクラブである。芝生の庭と、滝も流れる日本庭園は、このクラブのトレードマークで、当時は東洋一とまで言われた。
このクラブの支配人は、古川益男(ターゲット・プロダクション代表)という人物。クラブのハウスバンド、アロー・ジャズ・オーケストラのリーダーとなったのが当時24歳の北野タダオ(1934~)である。
古川はアイ・ジョージ、坂本スミ子、北野タダオ、古谷充といった関西の人気アーティストを抱え、当時は未開拓だった日本のショウビズ界に切り込んでいく。1963年10月、「硝子のジョニー」をヒットさせたアイ・ジョージを、ニューヨークの殿堂カーネギー・ホールの舞台に立たせたのも古川の尽力である。60年代の初頭、東京で売れっ子だった新進気鋭の放送作家、永六輔を関西に招いたのも古川である。
1958年の秋には、「アロー」自慢の日本庭園で、3つのジャズ・オーケストラ(シャープス&フラッツ、東京キューバンボーイズ、アロー・ジャズ・オーケストラ)によるガーデン・コンサートを実施されている。
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1963年12月、アニタ・オデイが出演。
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1964年1月18日、エラ・フィッツジェラルドが出演。
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ナイトクラブの「アロー」は1971年に閉店。現在その場所には、ラブホテルが建つ。
by makotogotoh | 2011-04-25 04:11
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