ベテラン・ジャズ歌手の上野尊子(本名・片山尊子)が、2011年4月23日、多発性骨髄腫のため死去していたことを知る。1936年(1939年という説もある)1月5日横浜市生まれ。享年75歳。ベース奏者の片山勝義は彼女の夫だ。 上野は19歳で「横浜シーサイド・クラブ」で歌ってプロデビュー。米軍クラブで長らく歌い、ナンシー梅木、沢たまき、前田美波里も指導したという松谷穣に師事、松谷門下に入った。1972年に渡米、ニューヨークやサンフランシスコで歌い、ダコタ・ステイトンやベティ・カーターからも指導を受けたという。 現カメラータ・トウキョウの井阪紘に、上野尊子を紹介したのはピアニストの菅野光亮だ。 井阪は1985年録音の『ゲティング・トゥ・ノウ・ユー』のライナーで、その時のエピソードを披露している。 「ともかく声そのものがジャズ・ヴォーカルになっている、珍しい日本人の歌い手がいる。聴きに来い!」菅野からそう言われた井阪は、浜松グランドホテルまで出かけ、上野の歌を聴く。 菅野の言葉通りの歌だった。上野の才能に惚れ込んだ井阪は、さっそく彼女の録音を企画する。最初は菅野(p)、福井五十雄(b)、小原哲次郎(ds)のトリオをバックに、3曲ほど録音してみた。しかし、どうもしっくりこない。上野の歌が、普段ジャズ・クラブで聴いているそれと同じ雰囲気になってしまうのだ。 クラブで聴くのと同じアルバムを作っても仕方がない。多くのファンが聴きたいのはどんなアルバムなのだろうと、井阪は考える。 多くのジャズ・ファンはサラリーマンで仕事で疲れた帰宅するのは深夜だ。実際、当時の井阪がそういう企業戦士だった。疲れたときに強烈にスイングする、元気いっぱいのアルバムは、あまり聴きたくない。寝る前にお酒でも片手に、耳を傾けたくなるジャズ・ヴォーカルのアルバムはどうだろう。そんなアルバムを作ってみようではないか。 井阪は制作方針を変更した。ベースとドラムを外し、菅野のピアノだけの伴奏で歌ってはどうかと提案する。オリジナルLPのライナーで、高田敬三氏はプロデューサー、井阪の狙いを見事に代弁している。 「(前略)一日の仕事が終わって、満員電車で家に帰り着き、夕食の後、ウイスキーなど飲みながら聴く音楽というと、やはり室内楽とか、ジャズでいえばピアノ・トリオとか、ヴォーカルということになるだろう。就寝前のひととき体を休め、心をほぐしたリラックスしたムードで聴きたくなるレコード。上野尊子の『グッド・モーニング・ハートエイク』と名付けられた本アルバムは、そんなレコードである。(後略)」 上野の記憶によれば、このアルバム発表時のレコード評は、あまり芳しくなかったという。「菅野のピアノは素晴らしいが、上野のヴォーカルはちょっとね……」といった文意だった。 以前話をうかがった時、上野は、昔の出来事を本当によく覚えていた。しかし、細かいことにこだわらず、どちらかといえば笑い飛ばす、おおらかな性格の持ち主だったような気がする。いろんな人がいるから、いろんな勝手に意見を言うのは当然と軽く受け流す、スケールの大きい、「肝っ玉母さん」のような人だった。
by makotogotoh
| 2011-08-19 04:11
| 訃報
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