東良美季さんのブログ「職業倫理の消失」より。
《(前略)職業とは生き方だがら、誰に向かって商売しているのかを明確にしなければならない。農家は消費者を、八百屋は客を、医者は患者を何より大切な存在として自分の視野に置く。当たり前の話だ。農家はやみくもに生産を上げるべく、消費者をないがしろにして必要以上の農薬を使ってはいけないし、医者は自分の研究のために患者の身体を使ってはいけない。そう言った当たり前の職業倫理が崩れたのが戦後という名の日本社会だった。多くの会社では消費者よりも社内の利益のために動くようになった。その結果がパロマの事故や三菱のリコール隠しである。(後略)》 働いている人の多くがモラルと誇りを失ったのは、「戦後」という広い範囲というよりも「バブル経済崩壊後」というべきかもしれない。 世の中がおかしくなったのは、経済界の原理を、結果の見えにくい教育など社会のあらゆる分野に適用したからではないか。農家が消費者から、八百屋が客から、医者が患者から感謝されなくなる。カネを払っている側が偉いのだから、農家こそ消費者に、八百屋こそ客に、医者こそ患者に、公立学校の教員は保護者に感謝すべきだ、といわんばかりである。 ある飲食店チェーン経営者で、私立学校の理事長でもある人は「公立学校間で競争を促進すれば、教育サービスはよくなる」と豪語した。 この理屈が間違っていることは以下の事例をみれば分かる。競争原理が教育現場に強いたものは、とにかく結果を出さねばならないという圧力だった。 学力統一テストの平均点が東京23区で最下位だった足立区は、教育委員会と校長とともに、事前に生徒に問題を見せたり、試験中には見回っている監督者である先生が生徒に間違いを指摘したりしている。 また関西の私立高校が大学合格率をアップさせるために、優秀な学生には受験料を学校側が負担して、受けさせていたという話も、みせかけの合格率をアップさせるためだ。 合格率や平均点をあげるためには、きれいごとなんていっていられない、どんな手段を使っても構わない。 なぜこうしたことが起こったのか。競争原理を導入したことで現場に圧力がかかったからである。新入社員の大半が3年以内に辞めるのも、競争だけの社会に疲れたからではないか。 競争は他人にとやかく言われてからするものではない。 自分の意思で「過去の自分」とするものである。
by makotogotoh
| 2007-09-14 21:58
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