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大学は「勉強」をしに来る場所ではない(山内志朗)

平凡社新書『ぎりぎり合格への論文マニュアル』(山内志朗)より。
 単なる○○な学生向けのマニュアル本と思ったが、それでも少しは気になる箇所があったので、そこから引用する。12ページ。
《(前略)困るのは問題意識に関して、マジメではあるのだが、「何をやったらいいのか分かりません」、興味のあることはないのかと訊かれて「特に興味のあるものはありません」という学生である。高等学校まで言われたことをひたすらマジメに「勉強」してきた学生に多い。へたをすると、社会に出ることができぬまま、学者にでもなるしかなくなってしまう。
 困ったことに、大学に「勉強」しに来てしまう学生がきわめて増えてきてしまった。レジャーランドと化した大学に「勉強」しに来るとは良い学生ではないか、と考えたら、これは大間違いである。「遊び」に来る学生の方がずっと健全という感じがする。というのも、「勉強」とは、既定の目標に向かって、与えられた課題を忠実に遂行していくことだからだ。受験勉強がその典型である。
 こういう「マジメ」な学生は、既定の目標が誰かからか、どこからか、与えられるのを待ち望んでいるのである。白馬に乗った王子様がやってきて、惨めな境遇から救ってくれるのを待っている人間と似ているところがある。》
 山内さんは1957年生まれ。現在は慶応義塾大学文学部教授で、これは新潟大学人文学部教授だった頃に書かれた新書。専門は中世哲学。
 ここでの「マジメ」はもちろん美徳ではない。これは別に最近の大学生に限った話ではない。
 「ジャズを聴いてみたいんですけど、何から聴いていいのか分かりません」という人は昔からたくさんいた。インターネット全盛の今の時代でも、名盤ガイドの類が繰り返し発行されるのは、そういう人たちが少なからず存在するからだ。
 そういうガイドで紹介されたアルバムだけをいくら集めても、自分の内面から自発的な感動や別の興味が出てこない限り、その人にとって「ジャズのある生活」は長くは続かない。 
 音楽を聴いて新たな興味が生まれ、そこからべつの感動を得られれば、自分で調べたり探したりすることも、決して苦痛ではなくなるはずだ。
■『ぎりぎり合格への論文マニュアル』はこちらから。
by makotogotoh | 2007-10-05 08:30
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