「しみ込み型」教育と「教え込み型」教育

a0107397_0212367.jpg西垣通さんの『ウェブ社会をどう生きるか』(岩波新書)を読む。西垣さんは1948年生まれ。東大大学院情報学環教授。
日本的だった「しみ込み型」教育と、もともと西洋的で日本にも浸透している「教え込み型」教育の違いの指摘している。これは重要だ。以下は彼が引用した、渡部信一の『ロボット化する子どもたち』(大修館書店)からの引用。
 《「しみ込み型」は日本の伝統芸能における「わざ」の習得過程で用いられるものです。たとえば義太夫の師匠である竹本梅太夫は「稽古の最中に「ダメだ」「そうじゃない」といった叱責を与えたのみで、どこがどういう理由でダメなのか教授することは稀であった」そうです。
 弟子はひたすら真似るだけなのです。自分で工夫し、自分なりに目標を立てて、試行錯誤を繰り返しながら「わざ」を体得していくというわけです。義太夫にかきらず「習うより慣れよ」とか「わざは兄弟子から盗め」といった教育方法は、日本のあらゆる伝統分野に共通しています。(中略)
 これに対して、教え込み型の教育方法は、どちらかというと西洋由来で、これが近代日本に導入されました。そこでは言語化された明示的な知識体系が前提とされます。教師は知識体系を細かい要素に分解し、綿密なカリキュラムにしたがって、それらを学習者の頭脳に計画的に注入するわけです。(中略)学習者とはいわば学習機械であって、その頭脳に情報を次々とインプットしていくのです。知識とは一群の「情報小包」とみなされているのです。》
 これは日本の伝統芸能に限った話ではない。かつてジャズ・ミュージシャンの多くは中卒、高卒でプロになった。専門の音楽教育を受けることなく、音楽大学にも通うことなく、先輩のミュージシャンのレコードを聴き、コピーし、ソロがどうなっているのか研究した。そして彼らの生演奏にも数多く接することで、その技を自力で盗み、自分のものとしたのだ。
 時代は変わり、ジャズやクラシックなど音楽教育システムが確立したことで、効率的かつ体系的に演奏技術を学ぶ(=知識を注入)ことができるようにはなった。たしかに演奏技術は申し分ない。しかし、その演奏を聴いた時の印象が、かつてのジャズ(教育システムが確立していない頃のジャズ)を聴いた時に得た感動と大きく異なるのはなぜか?
 受験勉強のようなハウツーにしてしまった時点で、ジャズがジャズでなくなった、といえるのかもしれない。
 この本は、非常に奥が深く、面白いので、ぜひご一読を。
■『ウェブ社会をどう生きるか』はこちらから。
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by makotogotoh | 2007-10-15 00:21
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