『Cadence』のレヴューは、某誌のような5つ星が満点といったものではなく、フリーランスの批評家が署名入りできちんと書く。どんな作品でも編集部に2枚送れば、レビューを掲載する。それが編集ポリシーのひとつだ。このポリシーは今後も変わらないと思うが、レヴューの他、毎回1人もしくは2人のミュージシャンのロング・インタビューを掲載しており、これが結構面白かったりする。広告を出稿しなくても、記名入りレヴューで取り上げてもらえるのだから無名のミュージシャンにとっては非常に有意義なシステムであった。 しかし現在、ネット上でも競合他社であるAll About Jazzのようなサイトがあり、Cadenceに頼らなくても、取り上げてくれるシステムが整いつつあるのかもしれない。日本でもJazztokyoというサイトが複数の筆者によるレビューや情報発信を独自に行っている。 All About JazzとJazztokyoの決定的な違いは2つある。ひとつは広告収入の有無。もうひとつは扱っているジャズの領域の幅とレビューの数だ。前者は多くのレビュアーを抱え、トップページから毎日多くのディスクレビューが更新されている。それに対し後者はレヴューの数もレヴュアーの数も、実に《少数精鋭》だ。 今、日本語の総合ジャズ・サイトを立ち上げても、十分な広告収入が得られる可能性は低い。有料サイトにして十分な購読者が集まる可能性は低い(朝日新聞のサイトでマニア向けのジャズ情報を有料で公開しているようだ)。 またディスク・レヴューについても、原稿料を払って信頼できるプロに執筆を依頼するシステムが整っているとはいえない。雑誌の売り上げが減少してもネットがビジネスにならないという点で、いまだに過渡期なのだが、今回のCadenceの季刊化は、アメリカにおけるジャズ雑誌の終焉が始まったことを意味する。年4回というのは雑誌としてギリギリのライン。年2回になったら購読者はさらに激減し、存続は不可能になる。この一年が勝負の時だ。Cadenceにもサイトはあるが、購読案内と物品販売だけだ。 老舗DownBeatやJazztimesは記事の一部をネットで公開している。なかにはネットのみの記事もあるようだ。DownBeatの場合は資料性があるのでNew York TimesやNew Yorkerのように、バックナンバーのアーカイブをネットから自由に検索・閲覧できるようにすれば新たなビジネスチャンスが生まれる。Jazztimesは情報やレヴューの提供だけから、雑誌以外の物品(写真やTシャツなど)販売や他サイトへの誘導を狙っている。 ネットだけでは読みきれない資料性の高い記事、紙でないと質感が出ないハイクオリティな写真など、雑誌が生き残る道は、考えればいくらでもありそうな気もするが、Cadenceは最後まで、原稿料を払った批評家の署名記事をネットで無料公開することはしないだろう。それは、時代に乗り遅れたというより、雑誌というメディアに生きた人間の矜持といえるかもしれない。そしてこの潮流による影響は、近い将来いずれこの日本のジャズ雑誌にもやってくる。それでもなにかと経費のかかるこの国では、《まずは広告収入ありき》となってしまうのだろうか。
by makotogotoh
| 2007-11-06 05:44
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