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The Quartet feat. Herbie Hancock,Wayne Shorter,Ron Carter,Jack DeJohnette

a0107397_7155784.jpg15日(月)東京国際フォーラムホール(A)にThe Quartetを聴きに行ってきました。私にとってのthe Quartetといえば、Modern Jazz Quartetか60年代のJohn Coltrane Quartetですが、このグループは《60年代にマイルス・デイヴィスと共演したミュージシャンで、いまなお現役の著名人4人》を集めました。しかもこの4人の共演が日本で実現するのは今回が初めてというのですから、老若男女、多くの人が駆けつけました。

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# by makotogotoh | 2007-10-17 07:14

ウェブ礼賛論者の欺瞞

a0107397_1222487.jpg 昨日の続き。西垣通さんは『ウェブ社会をどう生きるか』のなかで、梅田望夫さんの『ウェブ進化論』(ちくま新書)に代表される「ウェブ礼賛論」にみられる「若者への呼びかけ」を欺瞞と喝破する。以下、第5章「ウェブ社会で格差をなくすには」より。
《(前略)なぜなら、ウェブ礼賛論を説く人々のほとんどは、一流大学を出ていたり、英語が堪能だったりする「エリート」だからです。受験戦争を勝ち抜いてきた彼らは、カジュアルな服装をしていても心の底ではエリート意識が強く、「おちこぼれてきた普通の若者」など相手にするつもりもありません。そこにあるのは能力差別意識です。》
《(前略)つまり、ウェブ礼賛者論たちは、中高年を排除するだけでなく、普通の若者たちを煽りたてながらも、裏ではひそかに、新たなアメリカ流の格差を日本社会に持ち込もうとしているわけです。その議論からは純粋な幼さも感じられますが、隠された意図は、中高年のかわりに自分たちが権力を握ることだという気がしてなりません。》
 新潮でも岩波でも、いや筑摩書房でもいい。「朝まで生テレビ」でもいい。西垣通さんと梅田望夫さんの対談(デスマッチ)を企画してもらいたいものだ(笑)。

 それはさておき、以下の点はうなずける。
《(前略) 肝心なのは、われわれが「生きている」というシンプルな原点に戻ることです。現代ウェブ社会は、とかくコンピュータ処理できる明示的な知のみにとらわれ、機械情報の爆発と知恵の消滅にむかってとめどなく突進しているように思われます。明示的な知など持たなくても、たくましく生きている植物の姿に学ぶべきではないでしょうか。今われわれにとって最も大切なのは、生命情報中心の情報学的転回に向けて新たな離陸を試みることなのです。》
 「生命情報」とは、生物(たとえば人間)が周囲環境と関係することで出現する情報。これを人間が記号を用いて表現記述し社会的に流通させるのが「社会情報」、さらに、効率的な伝達・蓄積のために記号だけを独立させたのが「機械情報」。ウェブ2.0で検索できるのは機械情報だけである。
 煩悩の塊のような人間が、植物に学ぶべきこととは?「生きている」という原点とは何か?真っ先に思い浮かんだのは哲学、次に宗教、最後に歴史ということになる。
# by makotogotoh | 2007-10-16 12:31

「しみ込み型」教育と「教え込み型」教育

a0107397_0212367.jpg西垣通さんの『ウェブ社会をどう生きるか』(岩波新書)を読む。西垣さんは1948年生まれ。東大大学院情報学環教授。
日本的だった「しみ込み型」教育と、もともと西洋的で日本にも浸透している「教え込み型」教育の違いの指摘している。これは重要だ。以下は彼が引用した、渡部信一の『ロボット化する子どもたち』(大修館書店)からの引用。
 《「しみ込み型」は日本の伝統芸能における「わざ」の習得過程で用いられるものです。たとえば義太夫の師匠である竹本梅太夫は「稽古の最中に「ダメだ」「そうじゃない」といった叱責を与えたのみで、どこがどういう理由でダメなのか教授することは稀であった」そうです。
 弟子はひたすら真似るだけなのです。自分で工夫し、自分なりに目標を立てて、試行錯誤を繰り返しながら「わざ」を体得していくというわけです。義太夫にかきらず「習うより慣れよ」とか「わざは兄弟子から盗め」といった教育方法は、日本のあらゆる伝統分野に共通しています。(中略)
 これに対して、教え込み型の教育方法は、どちらかというと西洋由来で、これが近代日本に導入されました。そこでは言語化された明示的な知識体系が前提とされます。教師は知識体系を細かい要素に分解し、綿密なカリキュラムにしたがって、それらを学習者の頭脳に計画的に注入するわけです。(中略)学習者とはいわば学習機械であって、その頭脳に情報を次々とインプットしていくのです。知識とは一群の「情報小包」とみなされているのです。》
 これは日本の伝統芸能に限った話ではない。かつてジャズ・ミュージシャンの多くは中卒、高卒でプロになった。専門の音楽教育を受けることなく、音楽大学にも通うことなく、先輩のミュージシャンのレコードを聴き、コピーし、ソロがどうなっているのか研究した。そして彼らの生演奏にも数多く接することで、その技を自力で盗み、自分のものとしたのだ。
 時代は変わり、ジャズやクラシックなど音楽教育システムが確立したことで、効率的かつ体系的に演奏技術を学ぶ(=知識を注入)ことができるようにはなった。たしかに演奏技術は申し分ない。しかし、その演奏を聴いた時の印象が、かつてのジャズ(教育システムが確立していない頃のジャズ)を聴いた時に得た感動と大きく異なるのはなぜか?
 受験勉強のようなハウツーにしてしまった時点で、ジャズがジャズでなくなった、といえるのかもしれない。
 この本は、非常に奥が深く、面白いので、ぜひご一読を。
■『ウェブ社会をどう生きるか』はこちらから。
# by makotogotoh | 2007-10-15 00:21