Trio’の演奏を聴くのは一年ぶりです。前回はこちら。七夕トリオというだけあって、1年のうち共演できるのはほんのわずか期間ですが、2004年からレギュラー活動を続けてきただけに、安定感があって、しかも自由度の高いオトナの演奏が楽しめます。もうひとつの楽しみは、なんといっても市原さんのMC。 とくに秀逸なのは「What are you doing the rest of your life」の曲紹介と、市原さんが好きだという「Childhood's Dream」の福田さんのエピソードを紹介する、市原さんの話ぶりです。以前、聞いた福田さんの「Momo」に関する曲解説も傑作でした。 市原さんのドラムをひとことで言えば「大胆」にして「繊細」。先頃引退した小泉純一郎は「俳優が政治をやっていたのではないか」と言われましたが、市原さんのMCのうまさも、とても余芸とは思えません(実際、市原さんは2000年から舞台役者として活動を開始)。その意味でこのトリオは「市原劇場」ともいえそうです。 2008年11月には待望の第4弾の録音が予定されており、今からその完成が楽しみです。 この日のメンバーと曲目は以下の通り。 市原康(ds)福田重男(p)森泰人(b) 1st set: 1.It's Only A Paper Moon(Harold Arlen-Billy Rose-E.Y.Harburg) 2.To Staffan(Mori) 3.Just be Happy My Love(Fukuda) 4.My Ship(Kurt Weill-Ira Gershwin) 5.Happy Birthday 6.Straight No Chaser(Monk) 7.Sugar Ray(Phineas Newborn.Jr) 2nd set: 1.Dindi(Ray Gilbert-Antonio Carlos Jobim) 2.What a Difference a Day Made(Maria Glover-Stanley Adams) 3.Childhood's Dream(Fukuda) 4.Momo(Mori) 5.Come Rain or Come Shine(Harold Arlen-Johnny Mercer) 6.What Do you doing the rest of your life(Michel LeGrand) 7.Love Is Here to Stay(Ira & George Gershwin) Encore: 1.911(Fukuda)新曲 仮題 2.Go Ahead Nigel(Fukuda) #
by makotogotoh
| 2008-10-05 04:11
| TRIO'
都内某所。外谷東(p)と鯉沼武志(b)のデュオを聴く。 ここはいわゆるライブハウスではなく、イタリアン・カフェ・レストラン。 オーナーがジャズ・ファンなのだろう、飲食代のみ、ミュージック・チャージなしで、プロの生演奏を聴くことができる。 (ただし市川秀男クラスのライヴになると、さすがにそうはいかない) 世間はますます不景気だという。しかし、この日は、とても盛況だった。 近くの大学生たち、サラリーマン、カップルなどが多数来店している。 食事やお酒、友達とのおしゃべりを楽しんでいる彼ら。 そのときの心地よいBGMが、ジャズの生演奏なのだ。 だから、音楽に耳を傾けている気配は感じられない。 拍手はまばら、ベースやピアノのソロが終わって拍手するのは、1人だけだ。 生演奏を必要とする場所はライブハウスだけではない。 ピアノ・バーやホテルのラウンジなど、チャージを取らない場所もある。 世の中は、熱心な音楽ファンばかりではない。 だから普通の人が生演奏に接することができる場所もまた必要なのだ。 外谷さんは1963年生まれ。飯田ジャズスクールで田村翼に師事した。そして今、彼は同じスクールで教鞭を取っている。 彼の生演奏を聴くのはこの日が初めてなのに、どこか懐かしい気がする。 2セット目「Green Dolphin Street」がよかったと外谷さんに伝えると、「師匠のアレンジですよ」と彼は少し笑った。 なるほど。 最終セット、最後の曲は「Whisper Not」だった。 その演奏が始まった途端、いままで気づかなかった不思議な感情の高まりを覚えた。 まるで田村翼が、そこで演奏しているのではないか、と。 もちろん錯覚である。 演奏はちょっとぎごちない。 セカンド・リフに移行するところで、外谷さんはベースの鯉沼さんに合図を出す。 しかし外谷さんのピアノから紡ぎだされるフレーズのひとつひとつに、 田村翼のソウルが息づいているのだ。 わたしは田村の生演奏に接したことはない。 しかし生前、田村がこの曲を演奏すると、会場から「待ってました!」の歓声や、言葉にならない嗚咽や溜息が、あちこちで聴かれたという。 この時、私が感じた気持ちの高まりは、きっとその感覚に似ているのだと思う。 帰宅後、田村翼本人の「Whisper Not」を聴き返してみた。 案の定、外谷さんの演奏と、田村のそれは、全く似ていなかった。 田村のコピーではないのに、随所に田村の「匂い」がする外谷さんの演奏。 それが「音楽でいうところの影響」なのだろう。 外谷さんが使った「師匠」という言葉が印象に残った。 田村翼はいまも彼の師匠なのだ。 「有名音楽大学を首席で卒業」というキャッチフレーズを、デビューまもない新人のコピーや、経歴紹介でみかける。 しかし「だから何だ」というのだろう。 プロの音楽家にとって、記録として残された「過去の成績」より、「私の師匠は○○です」と今も胸を張っていえる「誇り」の方が、はるかに重要なのだと思う。 キミにとって「師匠」と呼べる人はいるか? その師匠に対して、今も尊敬の気持ちを失っていないか? 自分の人生を豊かにするためにやるべきこと。 それはまず「師匠をみつけること」である。 いま日本人の多くは、就職に有利な資格取得や、目先の成果を得るためのハウツー獲得に明け暮れている。そんな小手先の技術で、一生食っていけるわけがない。 彼らにとって、「師匠」と呼べる人はいるのだろうか?疑問である。 彼らの多くは「人間不信」に陥り、そして「誇り」と「自信」を失いつつある。 ケータイやネットでの文字によるコミュニケーションを好み、 顔が見える人とのコミュニケーションができない。 現代ニッポン社会の病理である。 #
by makotogotoh
| 2008-10-04 04:54
| 田村翼
作家・森博嗣さんのMORI LOG ACADEMYより。9月26日の[【HR】で、君の意見は?]から。
《自分で文章を書いて、それがどう受け止められたのか、というデータを、僕は一般の人の1000倍は持っているだろう。そもそも学生を指導しているときから多かったし、作家になって激増した。特にネットのおかげで、飛躍的にデータ採取が早く、そして広くなった。どう書けば、どう受け取られるのか、ということがだいたいわかってくる。そして、残念だけれど、大まかにいえることは、「どう書いても、読み手の大部分は自分の都合の良い方へ解釈する」ということである。書かれている内容を客観的に捉え、自分のデータとして素直に吸収できる人は少ない。僕はよく「誤解も理解も同値」と言ってきたのだけれど、書いたことがそのまま伝わることなんてほとんどないわけで、書いた者の力量や受け手の力量ももちろんあるけれど、基本的に人間同士のコミュニケーションとはそういうもの、「理解」とは元来不完全なものである、ということ。》 音楽の受容についても同じことがいえる。 つまり「聴き手の大部分は自分にとって都合のよい解釈をする」ということだ。 みずから積極的に情報を集め、多くの人に理解されるように、できるだけ客観的に捉え、素直に書ける人は、本当に少ない。 「独断と偏見で書いてます」とひとこと断われば、何を書いても許される風潮すらうかがえる。 書いた側の責任、道義的問題は発生しないのだろうか? ライナーも読まない。本人や関係者とコンタクトも取らない。 録音された状況について何も考えない。 ただ長年聴いてきたという自負(?)と、自分の感性だけを信じて、つれづれなるままにモノを書く。そしてその音楽が、少しでも自分の好みや期待と違っていたら、すぐ「悪い」「つまらない」とか書けてしまう。 そういう「すごい人たち」が日夜、情報交換を楽しんでいるのが日本のネット社会なのだろう。 #
by makotogotoh
| 2008-10-02 04:13
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